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田中にとって先代社長・長谷川勘三の存在は大きい。 若い田中の杜氏としての力量と可能性を認めて採用を決定した人である。 そして、先代社長が行なった手造り路線への変更は、手造りで酒造りを学んできた田中にとって才能をいかんなく発揮するきっかけになったといえる。
大学で醗酵工学を学んだ先代社長は、酒造りに関しても熱心な指導者であった。田中は、いい酒を造る科学的な方法論を彼から学びその考えを尊重して研究していった。
先代社長はまた、八重垣の酒をこよなく愛し、酒銘に確固たるポリシーを持っていた。 酸が多く、味が濃く、辛口でなければ八重垣の酒ではないと言い続け、例え顧客が誰も飲まなくても主人の自分が飲む、と断言していた。
この思い入れが、八重垣の個性を創り上げたのだ。
『万人に飲まれる酒でなく、万人の一人に飲まれる酒を』を−先代社長の意思を受け継いだ現社長・長谷川雄三もまた、この伝統を継承していこうとしている。
酒造りに熱い情熱を注ぎ込むふたりの社長の下での永きにわたる努力と研鑽が、平成5年に実を結んだ。八重垣の酒はついに全国新酒鑑評会で金賞を受賞。
翌6年も受賞するという快挙をなし遂げたのだ。数ある酒のなかから選ばれる、酒を造るものにとってこの上ない栄誉を勝ち取ったのである。
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