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長谷川家が酒造りをはじめるに至るまでに、酒造りはいかなる歴史をたどってきたのだろう。播磨風土記にあるように、酒は神と人を仲立ちするものとして神事に供されていたと考えられる。
宗教儀礼としての酒造りは、10世紀に編纂された「延喜式(えんぎしき)」に記されている。「延喜式」は、律令体制下の朝廷で行なわれていた年中儀式について書かれた事務規定で、宮廷の祭事儀式において、酒が欠かせない飲み物であったことがわかる。
商売としての酒造りは、平安末期から鎌倉・室町時代にかけて盛んになる。荘園体制の下、幕府や社寺の権力者から酒造りの権利を得た特定の業者が、酒造販売を行なったのだ。
また、神社や寺院など僧坊が、荘園からの貢納米で酒を造り販売した「僧坊の酒」も盛んであった。
酒造業はだんだんと地方にひろがっていき、室町時代には京都の酒以外は総じて「田舎酒」と呼ばれるようになった。
清酒の発展の萌芽はこの田舎酒に見られる。
近世、酒屋の多くは僧坊や交通の要所に生まれている。江戸時代、長谷川家が酒屋をはじめた林田も、因幡街道筋にある交通要点であった。
酒造りは江戸幕府の経済の根幹を担う米を使うため、厳しい統制も受ける。明暦3年(1657年)には酒造株が設定され、株を持つもののみが酒造りを許可されるようになった。
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