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その林田藩とは一体どのような藩だったのか。歴史を紐解くと、元和3年(1617年)に藩主を建部政長として立藩したことから始まる。
建部家は宇多源氏の流れをくむ佐々木氏より出、近江国神崎郡建部村に居住して建部家を名乗った。建部政長は大阪冬・夏の両陣で功をあげ、徳川家康より元和元年に摂津国河辺郡において1万石を与えられる。建部家はこのとき、はじめて大名となり、翌々年、播磨国揖東郡林田に封地を移し藩を開いた。
林田藩は、林田の聖ケ岡に城を構え、藩内約1万2,000人を人々を治めた。農業をはじめ、宿場町として商業が発達し、特産物の林田瓜と林田焼は名高く、将軍家へ献上されていた。
歴代の藩主には、さまざまな業績を上げた人物がいる。(※下図参照)
初代政長の業績で特筆すべきは、灌漑用に鴨池(西池)を築造したことである。林田は、いまもその恩恵を受けている。7代政賢、8代政醇、9代政和と続いて学問を奨励し、学術の振興に寄与した。
この藩政の下で、俳諧の三木雨人、また八重垣とも縁の深い漢詩の河野鉄兜(こうのてっとう)など多くの文人・学者を輩出。教育が充実し、文化が発展したのも林田藩のひとつの特長といえよう。
藩祖以来、徳川家の恩顧を受け大いに繁栄した林田藩は明治2年に大政奉還となるまで、250年にわたって林田を治めたのである。
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